ジェイソン・リチャードソンは、シューティングガードとして類まれなる運動能力と得点力で成功を収め、長期に渡る自身のプロキャリアで脚光を浴びてきた。
リチャードソンはミシガン州立大学の1年生の時にNCAAチャンピオンチームの一員となり、その後NBAで13シーズンの堅実なキャリアを積んだ。その中にはオールスターウィークエンドのスター選手となったことや、プレーオフで成功を収めた複数のチームでプレーしたことも含まれる。
現在、ジェイソンの息子、ジェイス・リチャードソンはNCAA大学バスケ第2シードのミシガン州立大学のスター選手となっている。ジェイスが父と同じ大学とNBAの両方で自分の足跡を残そうと準備している今こそ、ジェイソン・リチャードソンのキャリアを振り返るのに良い時期だ。
ジェイソン・リチャードソンの出身大学
リチャードソンは1999年から2001年までミシガン州立大学に通い、2年間で70試合に出場した。1年生の頃、リチャードソンは1試合平均15.7分の出場で5.1得点、4.1リバウンドしか記録しなかったが、スパルタンズ初の、そして唯一の全国制覇チームで重要な役割を果たした。
翌年、リチャードソンは同チームでより重要な役割を担い、33試合中32試合に先発出場し、1試合平均14.7得点、5.9リバウンドを記録した。この活躍を経ては2年生シーズン終了後にNBAドラフトにアーリーエントリーした。
ジェイソン・リチャードソンのNBAキャリア
ゴールデンステイト・ウォリアーズは2001年のNBAドラフトでリチャードソンを全体5位で指名した。
リチャードソンはウォリアーズで6シーズンを過ごしたが、2005-06年にはキャリア最高のシーズンを過ごし、平均23.2得点、5.8リバウンドを記録した。彼はまた、ゴールデンステートが42勝40敗だったものの、NBAプレーオフで第8シードとしてこの年67勝をあげてトップシードだったダラス・マーベリックスを倒す歴史的なアップセットを成し遂げた「We Believe」ウォリアーズの主要メンバーだった。
2007年のオフシーズン、ウォリアーズはリチャードソンをボブキャッツにトレードし、彼はシャーロットで2シーズンを過ごした。しかし、同チームはリチャードソンが加入した最初のシーズンでプレーオフに出場できず、チームは2008-09シーズンの途中でリチャードソンをフェニックス・サンズにトレードすることになる。
サンズはリチャードソンをトレードした年にプレーオフを逃したが、翌年は好調なシーズンを送った。リチャードソンは2009-10シーズン、スティーブ・ナッシュやアマレ・スタウダマイアーとともにサンズで76試合に出場し、フェニックスは54勝を挙げてウェスタンカンファレンス決勝まで進出する快進撃を見せる。
しかし、サンズは翌シーズンに成績を落とすと、シーズン半ばにリチャードソンをオーランド・マジックにトレードした。リチャードソンはそこで4年間の契約延長にサインし、オーランドで2シーズンをプレーしたが、マジックは躍進できずに2回ともプレーオフの第1ラウンドで敗退した。
2011-12シーズン終了後、マジックは4チーム間のトレードでリチャードソンを76ersに送り、同時にチームの主軸だったドワイト・ハワードをレイカーズに送っている。リチャードソンはフィラデルフィア在籍中ずっと怪我に悩まされ、2013-14シーズンは全休し、3シーズンでわずか52試合しか出場しなかった。
2015年の夏、リチャードソンは当初アトランタ・ホークスと契約したが、膝の怪我からの復帰に苦労し、結果これが彼の引退を決断させることになる。
リチャードソンは13シーズンにわたって堅実な選手だったが、彼の最大の功績はダンカーとしての功績かもしれない。リチャードソンは2002年と2003年のNBAスラムダンクコンテストで優勝し、同大会で複数回優勝した7人の選手のうちの1人となった。また、彼が2003年のコンテスト決勝で見せた空中でボールをキャッチしてのレッグスルーダンクは今でもハイライトビデオで称賛されている。
ジェイソン・リチャードソン キャリアスタッツ
年 | チーム | ゲーム | PPGP | RBD | APG | SPG | FG% | 3P% | FT% |
2001-02 | ウォリアーズ | 80 | 14.4 | 4.3 | 3.0 | 1.3 | 42.6% | 33.3% | 67.1% |
2002-03 | ウォリアーズ | 82 | 15.6 | 4.6 | 3.0 | 1.1 | 41.0% | 36.8% | 76.4% |
2003-04 | ウォリアーズ | 78 | 18.7 | 6.7 | 2.9 | 1.1 | 43.8% | 28.2% | 68.4% |
2004-05 | ウォリアーズ | 72 | 21.7 | 5.9 | 3.9 | 1.5 | 44.6% | 33.8% | 69.3% |
2005-06 | ウォリアーズ | 75 | 23.2 | 5.8 | 3.1 | 1.3 | 44.6% | 38.4% | 67.3% |
2006-07 | ウォリアーズ | 51 | 16.0 | 5.1 | 3.4 | 1.1 | 41.7% | 36.5% | 65.7% |
2007-08 | ボブキャッツ | 82 | 21.8 | 5.4 | 3.1 | 1.4 | 44.1% | 40.6% | 75.2% |
2008-09 | ボブキャッツ、サンズ | 72 | 16.8 | 4.4 | 2.0 | 1.1 | 47.7% | 39.7% | 76.9% |
2009-10 | サンズ | 79 | 15.7 | 5.1 | 1.8 | 0.8 | 47.4% | 39.3% | 73.9% |
2010-11 | サンズ、マジック | 80 | 15.6 | 4.1 | 1.8 | 1.2 | 44.7% | 39.5% | 73.0% |
2011-12 | マジック | 54 | 11.6 | 3.6 | 2.0 | 1.0 | 40.8% | 36.8% | 59.4% |
2012-13 | 76ers | 33 | 10.5 | 3.8 | 1.5 | 1.2 | 40.2% | 34.1% | 60.6% |
2014-15 | 76ers | 19 | 9.1 | 3.5 | 1.0 | 0.7 | 34.8% | 32.3% | 77.3% |
ジェイソン・リチャードソンの生涯収入
Spotracによると、リチャードソンはキャリアを通じて1億400万ドル以上を稼いでいる。
リチャードソンはウォリアーズにドラフトされた後、2001年に4年間1140万ドルの新人契約を結んだ。その後、ゴールデンステートはリチャードソンと2005年から2010年までの6年間7000万ドルの契約を延長し、その間リチャードソンは4つの異なるチームでプレーした。
マジックは2010年にリチャードソンをトレードで獲得した際、4年間2400万ドルの延長契約を結び、リチャードソンはオーランドとフィラデルフィアの両チームでプレーすることになった。リチャードソンは2015年にホークスとベテラン最低契約も結んだが、膝の負傷によりシーズン開幕前に引退を余儀なくされた。
引用元:The Sporting News