ニック・ナース:戦術家としての道を探求するリーダー

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ニック・ナース(Nick Nurse)は、NBAで卓越したコーチとして知られ、特にトロント・ラプターズを2019年にNBAチャンピオンへと導いたことで名を馳せました。彼の人生を振り返りながら、そのユニークな指導哲学とエピソードを見ていきましょう。

生い立ちと家庭環境

ニコラス・デビッド・ナースは1967年7月24日、アメリカ・アイオワ州カーロルという小さな町で生まれました。 彼は地元のスポーツ好きな家庭で育ち、家族全員がバスケットボールに親しんでいました。特に母親が、地域のバスケットボールリーグでの熱心な応援者であったことが、彼のスポーツへの情熱をさらに掻き立てました。父親もまた、地元の高校でスポーツ指導に関わることがあり、ナースにとって大切な「スポーツと教育」が家庭の中で自然に結び付いていました。

学生時代:指導者への礎

ナースはカーロル・ケンペル・カトリック高校でバスケットボール選手として活動し、優れたシューティングガードとして活躍しました。 彼のプレーは得点力もさることながら、試合の流れを読む能力に長けていたといいます。 当時の関係者は「ニックはコート上での指示や相手の動きを先読みする能力があり、すでにコーチのような視点を持っていた」と述べています。

卒業後、ナースは1985年から1989年までノーザンアイオワ大学のバスケットボールチーム、UNIパンサーズに所属し、ガードポジションでプレーしました。彼のプレーは目立った得点力やスピードというよりも、知的なゲームマネジメントとチームメイトを活かすパスセンスに特徴がありました。大学時代のコーチング哲学の土台となったのは、コート上での分析力と戦略的な思考でした。

ナースは大学での4年間で、学校の歴史に残るようなスタッツを残したわけではありませんでしたが、彼のバスケットボールIQの高さはチーム内外で認識されていました。相手のディフェンスをかいくぐる観点に優れており、試合の状況に応じて適切なプレーを選択する能力に秀でていたのです。

コーチとしての素質を発揮した大学時代

大学での選手としての経験は、ナースにとって貴重な学びの機会でしたが、それ以上に彼が早い段階で指導者として道を志したことが重要です。UNIでの4年間、彼はコート上で考えるだけでなく、指導者としての役割にも関心を持ち始めました。

そのため、彼は大学在籍時からアシスタントコーチとしての役割を少しずつ始めていき、練習時のメニューや試合の準備に関わることもありました。

学業とバスケットボールの両立

ナースは大学での学業もバスケットボールと同様に重要視していました。 彼は、教育を専攻し、スポーツに関連する指導や教育の知識を体系的に学びました。また、彼の学問に対する姿勢は、選手としてだけでなく指導者としての成長を支える基盤を確立したとも言えるでしょう。

彼は大学時代を振り返り、「選手としての経験だけでなく、学業とスポーツを理論的に考えることを学びました。これが後にコーチとしてのアプローチにも大きく影響を与えました」と考えており、学業とスポーツの両立が自分のコーチングスタイルに関わったことを強調しています。

コーチングキャリアのスタート

ニック・ナースの指導者としてのキャリアは、わずか23歳という若さでアメリカ国内の大学チームでのアシスタントコーチから始まりましたが、彼が真のブレイクを果たしたのはイギリスに渡った後でした。イギリスのバスケットボールリーグ(BBL)でヘッドコーチを務め、バーミンガム・ブアーズやマンチェスター・ジャイアンツといったチームを指揮しました。ヨーロッパでの経験は、彼にとって非常に価値のあるものでした。ここで、彼のコーチングスタイルは大きく進化したのです。

ナース自身も「イギリスでのコーチング経験がなければ、今の私はなかった」と後に語っています。 アメリカとは異なるバスケットボール文化の中で、彼は選手たちとの関係を見つめながら、創造性を育んでいったのです。彼の元同僚は「ナースは常に新しいことに挑戦し、型にはまらないコーチングをしていた。彼のプレーコールにはいつも盛り上がっていたよ」と述べています。

ナースは常に「一つのことに留意せず、相手や状況に応じて最適なアプローチを選ぶことが重要だ」と考えており、試合中にさまざまな戦術を用います。これは後のトロント・ラプターズのヘッドコーチ時代に、ゾーンディフェンスとマンツーマンディフェンスを試合中に何度も可変し、相手チームのリズムを崩しているのにも見られます。

海外からアメリカへ:Gリーグでの挑戦

ナースがNBAのコーチになる上で大きなターニングポイントとなったのは、NBAの下部組織であるGリーグ(当時はDリーグ)での経験でした。この時期、彼は試合の勝ち方だけでなく、チーム文化や選手とのコミュニケーションの重要性を学びました。2007年にアメリカへ戻り、NBAのGリーグに所属するアイオワ・エナジーのヘッドコーチに就任しました。

GリーグはNBAへの昇格を目指す若手選手たちが多く所属するリーグで、コーチには選手の育成とチームの勝利という二重の使命が課せられます。ナースは、この両方で高い評価を受けることになります。

アイオワ・エナジーでの成功

ナースが率いたアイオワ・エナジーは、彼の指導の下でリーグ内でもトップクラスのチームへと成長しました。 2010-11シーズンには、アイオワ・エナジーをレギュラーシーズンで37勝13敗と成績に導き、ナースはGリーグの年間最優秀コーチ賞(コーチ・オブ・ザ・イヤー)を受賞しました。

ナースの指導スタイルは、選手たちに自由度を持たせながらも要所では継続的な調整を行うことで、選手の持つスキルを最大限に引き出し、彼らが試合中に自らの判断で動けるように指導したのです。彼は「Gリーグでの仕事は、毎日が新しい挑戦だった。限られた戦力の中で、どのようにして選手を育て、チームを勝利に導いたかを考えるのが楽しかった」と発言しています。

リオグランデバレー・バイパーズでのオフェンス戦術

アイオワ・エナジーでの成功を経て、ナースは2011年にヒューストン・ロケッツの下部組織であるリオグランデバレー・バイパーズのヘッドコーチに就任しました。

リオグランデバレー・バイパーズでは、ナースは急進的なオフェンススタイルを導入しました。 それは、NBAの「ペース&スペース」戦略の先駆けとも考えられるものです。これは従来よりもスリーポイントシュートを多用し、バイパーズはリーグトップの得点力を稼ぐチームとなり、2012-13シーズンにはGリーグの優勝を果たしました。

ナースはこのスタイルについて、「私たちはとにかく早いペースで試合を進め、スリーポイントを最大限に使うというアプローチをとった。それによって相手ディフェンスに常にプレッシャーをかけ続けることができた」と話しています。これは、当時のNBAにおいてまだ異端といえるものであり、その後のリーグ全体のオフェンススタイルのトレンドにも大きな影響を与えたのです。

この時期、彼のチームはGリーグの中でも最も見応えのあるオフェンスを展開し、リーグ全体から注目を集めました。 彼のチーム作りと柔軟性が評価され、NBAチームのフロントオフィスからその名も知られるようになります。

トロント・ラプターズアシスタントコーチ就任

2013年、トロント・ラプターズはニック・ナースをアシスタントコーチとして迎え入れることを決定しました。 ラプターズは当時、ヘッドコーチのドウェイン・ケイシーのもとでチームを再構築し、プレーオフ常連のチームとなっていました。今後の更なる成長を目指すチームの中で、ナースは特にオフェンスの改善とチームの多様性を担う役割を期待されていたのです。

ナースのラプターズ入りについて、当時のGMであるマサイ・ウジリは「彼の革新的な柔軟さと選手を育てる能力が、チームを次のレベルに引き上げる為に必要なものだと感じた」と述べてます。ナースはアシスタントコーチとして、ラプターズのオフェンスシステムをモダン化、スリーポイントシュートを重視する画期策を導入しました。

アシスタントコーチとしてのナースの貢献はすぐに現れます。ラプターズはリーグの中でも効率的なオフェンスを展開するチームになって変わっていきました。彼は選手たちに対して、プレイ中の判断力を重視するスタイルを求め、「選手たちが試合の中で自分で考え、動けるようにすることを大切に」と、試合中の状況変化に柔軟に対応する力を重視していました。

アシスタントからヘッドコーチへ

ナースのアシスタントコーチとしての活躍は、トロント・ラプターズが2018年にドウェイン・ケイシーを解任する際に、彼をヘッドコーチとして昇格させる重要な理由となりました。ケイシーの下でのラプターズはレギュラーシーズンで好成績を抱えていたものの、プレーオフでの結果が芳しくなく、チームは新しい方向性を求めていました。

ナースは、ラプターズの内部を熟知していたことに加え、Gリーグでの選手育成の実績が、彼をヘッドコーチにする決め手となったのです。 マサイ・ウジリは、「ナースのオフェンス力指導と前向きなアプローチは、我々が次のステップに進むために必要なものだった。彼の元で新しい可能性を探りたい」と彼の昇格について話しています。この人事について、ナースは当時、「ヘッドコーチとして任命されたことは大きな責任であり、私にとって夢の実現です。新しい挑戦を前に、選手たちと一緒にチームを向上させるのが楽しみです」とコメント。また、カイル・ラウリーも「ナースは攻撃的な倫理と柔軟性を持つコーチ。彼がチームをどう進化させるか期待している」とコメントを表明していました。

カワイ・レナードの獲得とチームの変革

2018-19シーズン開始前、トロント・ラプターズは大きな決断を下します。デマー・デローザンをサンアントニオ・スパーズに放出し、カワイ・レナードを獲得するというトレードを実行したのです。この移籍は当初、大きな話題を呼びましたが、ナースは新たなエースであるレナードを中心にチームを再構築しました。

ナースはカワイについて「彼はディフェンスでもオフェンスでもリーグトップクラスの選手。彼の持つ才能を最大限に引き出すことが私の仕事だ」と振り返り、彼を中心にチーム構想を構築していきました。トレードによってラプターズは大きく変化し、優勝を目指す本格的なチームとしてシーズンに向かうことになりました。

試合での柔軟性:プレーオフでの戦い方

ニック・ナースの戦術的真価が発揮されたのは、2019年のプレーオフでした。 ラプターズはレギュラーシーズンを58勝24敗で終え、イースタン・カンファレンス2位に位置していました。シーズン中からディフェンスのスキームを柔軟に切り替え、プレーオフ開始時には各チームに対応する能力が備わっていたのです。選手もナースの哲学を理解し、その考えが浸透していたことで自身の判断で適応する力がありました。

特にイースタン・カンファレンス決勝のミルウォーキー・バックスとのシリーズは象徴的でした。ナースは第3戦以降、「ウォールディフェンス」と呼ばれる守備戦術を導入し、相手エースのヤニス・アデトクンボのドライブを複数人で阻止して徹底したのです。

ナースはこの守備変更について、「我々は相手の強みを消すために、チーム全体で戦う必要があった。選手たちは完璧かつ冷静に考え、実行してくれた」とコメントしています。カワイ・レナードも「ナースは状況に応じて迅速に対応する。彼の冷静さと柔軟なアプローチが、チームを勝利へ導いた」と語り、ナースの指導力を称賛しました。

2019年NBAファイナルと「ボックス・アンド・ワン」

ラプターズはイースタン・カンファレンスを制した後、NBAファイナルでゴールデンステート・ウォリアーズと対戦しました。 ウォリアーズはステフィン・カリー、クレイ・トンプソン、ドレイモンド・グリーンといったオールスターを擁する強豪チームで、2010年代中~後期の数年間リーグを支配してきました。

このシリーズで、ナースは試合中に「ボックス・アンド・ワン」というプロの試合では非常に珍しいディフェンスを導入しました。ゾーンディフェンスの中で相手エース1人にだけマンツーマンを行うというものです。ウォリアーズはこの策に対応するのに苦戦し、ラプターズはシリーズを優位に進めました。ナースの「ボックス・アンド・ワン」は、NBAファイナルという最高の舞台での大胆な策略として大きな注目を集めました。

ナースは「リスク取ることが必要だと感じた。カリーのような選手には普通のやり方では勝てないから、少し違うことを試してみたかった」とこの事について説明しています。 カリーのマークについたバンブリートやラウリーも「正直、最初は不安にも思ったけど、コーチの考えを信じて実行した、うまくいったよ」と語り、選手たちの真摯な気持ちを示しました。

優勝とその後の評価

最終的にラプターズはNBAファイナルで4勝2敗とし、チーム史上初のNBAチャンピオンに輝きました。 この優勝は、カワイ・レナードのプレーやチーム全体のパフォーマンスだけでなく、ナースの大胆で革新的な戦術案が大きく影響したものでした。優勝後、ナースは「このチームとともにここまで来れたことを誇りに思います。選手たちが信じて戦ってくれたおかげだ」と語り、チームの努力を称賛しました。

また、カワイ・レナードは「ナースは素晴らしい戦略家で、試合中に冷静に状況を分析し、適切な指示を出してくれる。彼のリーダーシップが必要だ、彼抜きでこのチャンピオンシップは実現しなかっただろう」とコメント。さらに、チームの主力であるパスカル・シアカムは「ナースは自分を成長させてくれるコーチで、いつも新しい挑戦を与えてくれる」と、彼の選手育成能力についても感謝の意を示しました。

2020年以降のシーズン

2019年の優勝後、ラプターズはエースのカワイ・レナードを失うも、2020年シーズンでも好調を維持し、53勝19敗の成績でレギュラーシーズンを終えました。この年、ナースはNBA最優秀コーチ賞を受賞し、特にリーダーシップやディフェンスの改善、チーム全体でのハードワークが評価され、ラプターズは再びプレーオフで競争力を示しました。

しかし、2020-21シーズン以降、ラプターズは主力選手の移籍や怪我、パンデミックによるシーズン環境の変化などの影響で成績が伸び悩みました。チームの再強化の影響で、ラプターズは成績も下降傾向となったのです。選手層の変化により、プレーオフでも苦しい戦いを強いられ、ナースのおかげで柔軟さがあってもチームを上位に押し上げるのには限界がありました。

ナースの遺産:トロントに残した足跡

ニック・ナースがトロント・ラプターズに残したものは、2019年の優勝トロフィーだけではなく、カナダ全土にバスケットボールへの情熱を広め、ファンと選手が一体となって文化を構築したことです。ナースの影響力は、彼の退任後もトロントの選手やファンの心の中で生き続け、チームの今後にもポジティブな影響を与え続けたのです。

ナース自身もインタビューで「私はトロントでの時間を誇りに思います。あの街とファン、そして選手たちは私の心にずっと残り続けます」と語っており、その発言からもトロントへの愛着が感じられます。 トロントのバスケットボールファンは、ナースが築いたラプターズでの輝かしい時代を決して忘れることはないでしょう。

若手育成とチームカルチャーの構築

ナースはまた、トロント・ラプターズのヘッドコーチとして、若手選手たちに自信を与え、彼らの成長を何よりも重視してきました。 特に、パスカル・シアカムやフレッド・バンブリート、OG・アヌノビー、ノーマン・パウエルら若手の成長には、ナースの指導が大きく影響していました。シアカムは、ナースのもとでオールスター選手に成長し、バンブリートもまた、ドラフト外の選手から優れたリーダーへと前進しました。

2023年夏:フィラデルフィア76ersのヘッドコーチ就任

2023年5月、ニック・ナースはトロント・ラプターズのヘッドコーチを解任されましたが、すぐにフィラデルフィア76ersのヘッドコーチとして新たな契約を結びました。この決断は、76ersがエンビードとジェームズ・ハーデンを中心に据えたチームを再構築し、チャンピオンシップを目指して、将来的なアプローチを求めていたことによるものです。

ナースのフィラデルフィアでの初年度には、エンビードを中心としたディフェンスの強化や、オフェンスの多様性が期待されていました。 特に、エンビードのポストプレーと他のペリメータープレイヤーのバランスをどう取りながら、チームを高次元に導くかが焦点となっていたのです。ナースは立ち会いで、「エンビードのような選手と仕事ができることを楽しみにしている。彼の能力を最大限に引き出しながら、チーム全体が勝利に向けて進化するようにしていきたい」と語り、選手たちと密に連携しながらチームを作り上げる考えを示しました。

フィリーでの初年度

2023-24シーズンの序盤、76ersはナースのもとで新たな試みに臨みました。彼は引き続き柔軟で、特にディフェンスに関してはエンビードを中心に据え、そのリムプロテクション能力を活かす形でチームを上昇させようとしました。また、ジェームズ・ハーデンのトレード問題が取り上げられる中でも、若手選手を積極的に活用し、チーム全体の戦力を均等に活用する方針を取っていました。

ナースはこの状況について「シーズン中は日常的に変化があり、その中でベストを考える必要があった。選手たちが日々進化しているのを見るのが楽しみだ」と淡々と答え、チームのポテンシャルを引き出しながら、プレーオフでの躍進を目指していました。

結局、ハーデンのトレードやエンビードの不調もあり、プレーオフではNYニックスに敗退。ナースのフィリーでの1年目は自身が望んだ結果とは大きく離れたものになっていしましました。

今夏、2024年オフに76ersはLAクリッパーズからオールスターのポール・ジョージをFAで獲得し名門復活に息巻いています。ナースもインタビューで「PGがチームにもたらす守備能力と多才さに期待している。ポール・ジョージ、ケイレブ・マーティン、ケリー・ウーブレJrの組み合わせがシクサーズの守備戦略の鍵になる」と強調し、ディフェンス面で強力なユニットになることを目指しています。

ナースの挑戦は続く

ニック・ナースのコーチングキャリアは、これまで挑戦と進化の連続でした。 2019年のトロント・ラプターズでの成功が彼の名声を確立しましたが、フィラデルフィア76ersでの新たな挑戦は、彼にとって新たな章の始まりです。76ers の戦力をどのように最大限に活かしていくか、エンビードとともにイースタン・カンファレンスを制することができるのか、彼のリーダーシップには注目です。ナースの次なる成功が、どのように実現するのか、NBAファンにとっても目が離せないシーズンになるでしょう。

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